Leader's
インタビュー
渡邉健太郎氏
経歴:
東京都品川区に生まれ。成蹊大学法学部国際政治学科を卒業後、ニチメン(後の双日)で合成樹脂を担当し、合併時には業務部長を務める。その後ヘッドハンティングにより転職。フードアンドビバレッジ事業部長、インスティチューショナル事業部長を経て、現在エコラボ合同会社 (Ecolab G.K.)代表執行役員社長。
常識という枠に収まらない上司との出会いが
僕をリーダーに導いた。
初めて就職した会社の直属の上司が後にその会社の社長になる。その「常識」という枠には収まらない上司との出会いが導いた、強いリーダーへの道。
勉強をしなかった高校時代、猛勉強した大学時代。
藤井:渡邉さんは、現在外資系企業の日本法人のトップとしてご活躍されていますが、今までにいろいろな成功体験や挫折などを経験されてきたと思います。今のリーダーとしての骨格がどの様につくられてきたのかを、いろいろ遡ってお話を聞かせてください。
学生時代はどの様な学生だったのでしょうか?
渡邉:学生時代ですか、そうですね、中学から高校へ上がるときは勉強していて、高校は九段高校へ行ったのですが、まあ自由闊達な校風でですね、のびのびとしすぎたというか、勉強も大してせずに試験の時にいつも苦労していた苦い思い出がありますね。
どちらかというと大人しい部類だったんじゃないでしょうか。生徒会長をやるとかそういう意欲も無かったと思いますね。
部活は野球部に入ってキャッチャーをやっていました。
藤井:4番ピッチャーをやってそうなイメージですけどね(笑)
渡邉:そうですかね?(笑)こう全体を見渡して、人のことを慮って。自分ではキャッチャー向きなんじゃないかなと思っていますけどね。
藤井:大学はどちらへ?
渡邉:大学は成蹊大学の国際政治学ですね。高校ではほんと勉強していなかったので、二浪したのですが…
藤井:今考えるとその二浪というのは結果として良かったんじゃないですか?
渡邉:うーん、そうですね… いや、でも全然そんなことないですよ。次生まれ変わったらストレートで合格して、その2年間を別の事に使いたいですよね。まあでも、今、そのことを良かった、悪かったと言っても仕方ないので、良かったと思ってやっていますけどね。
二浪した時はもう勉強なんてやめて働こうかなとも思いました。ですが、うちは典型的なサラリーマン家庭だったので、親としては大学行って、就職してというのが当たり前という感じでしたからね。しかも僕は長男で、3人弟がいますからね。長男がコケると下もコケかねないということもありまして。
でまあ、なんとか大学に入ったわけなんですけど、いいところに就職するならちゃんと勉強はやっておいたほうがいいなと思いまして、高校とは打って変わって勉強はしっかりやりましたね。極めて成績も優秀でしたよ。大学は(笑)
輸出の仕事をしていた父の影響で
海外への興味を持つ。
藤井:なるほど、それで就職する時に何か意識したこととかはありますか?
渡邉:海外にとても興味がありましたね。それは父の影響が強くあると思うのですが、父が輸出の仕事をやっていましてね、父が家に掛かってきた仕事の電話に英語で対応する姿を見ていて、「おお、なんかカッコいいな。」と感じたことがあったのを覚えています。そういう父の姿を見ていて、僕もそうなりたいなという想いが海外へ目を向け始めた原点だと思います。もし、父の働く姿を見ていなかったら、今の僕は全然違う仕事をしていたかもしれないですね。
それで、商社に行けば海外行けるかなということで、今の双日、当時のニチメンに就職しました。そして、今の僕にとってもう一つ大きなエポックメイキングになっているのが、このニチメンに入った時の上司との出会いです。
”常識に捉われない上司”との出会い。
藤井:最初の上司ですか?
渡邉:そうですね、最初の上司との出会いが私にとって、大きなエポックメイキングになっていると思います。
なぜかと言うと、その方は私が入社した当時は課長補佐だったのですが、最後ニチメンの社長にまでなった方だったのです。ちょうど合併もあって、社長をされていたのは1年位でしたけれど。
数ある部署の中で、直属の上司が社長になるというのは珍しいケースですよね。それも新卒で入った僕の最初の上司だった。今思い返しても恵まれた出会いだったと思いますね。
その上司は、商社マンを地でいくような方でして、私は合成樹脂に配属されたのですが、その方は合成樹脂に来る前に鉄鋼貿易をやっていました。いい意味で常識に縛られないというか、型破りなところがありまして、成績も抜群で、ものすごく成果を出していたんですね。若くして頭角を現したこともあり、見事に出る杭は打たれてしまい、鉄鋼貿易から干されてしまう。そして以前に鉄鋼貿易から合成樹脂に異動したその上司の先輩から引っ張られて合成樹脂に来ていた。
鉄鋼貿易は、船一隻、チャーターパーティ組んでやるような商売ですから、取り扱う額も大きいんですよね。それに比べて合成樹脂はロットも小さいですから、ついつい発想が小さくなりがちなのですが、その人は鉄鋼貿易の発想で「もっとデカく張るんだ!」と言って合成樹脂の「常識」に捉われずに大きなことをどんどん仕掛けていきました。
その人から直接訓練を受けて育てられたことが私にとって大きなポイントだったと思っています。
誰もやらないことを、自らがリスクテイクしてチャレンジしていく
”Think BIG”の精神が刻み込まれた。
渡邉:私が最初に出張したのは、アルジェリアでした。入社して2年目の1986年のことでしたね。
その時はアルジェリアのメディカル、医療公団ですね。その上司と私がいた部隊は、樹脂でできたレントゲン用のフィルムだとか、製品も含めて何でもやる部隊でして、アルジェリアは当時、医療公団が窓口として全アルジェリアの需要1年分を一括で買う。だから額が大きいんですよね。
ですが、中々入札に引っかからなかった。世界の中でも相当安い値段で出しているにも関わらず、お呼びもかからなかった。そんな中、「今年も同じやり方だったら何も変わらんぞ」とその上司は、誰もやらないような発想と、そして自らリスクも取ってそれにチャレンジして、結果としてその年の受注を決めたんですね。
そういった彼の発想の転換や、誰もやらないことをリスクテイクして自ら挑戦していくチャレンジ精神、サラリーマンの右も左もわからない入社したての僕は幸運にもそういった人に巡り合い、育てられてきたというのは、会社人生の第一歩でもあり、僕のベースでもあると思っています。
藤井:大きく育てられたわけですね、いい人に勲等を受けたのですね。
渡邉:そうですね、「Think BIG」、常にスケールを大きく考えろという哲学が今でも染みついていますね。
藤井:その上司の下には何年位いたんですか?
渡邉:ずっと合成樹脂でしたし、竹田さんが社長の時は僕は経営企画で部長やっていましたから、ほんと入社してからずっとですね。
「自分は社会に通用するのか?」という疑問が転機を呼んだ。
渡邉:合併して双日になって、合成樹脂に一旦戻ったわけですが、そのタイミングでヘッドハンティングの会社から連絡がありました。2004年の秋頃でしたかね。その話があった時は特に辞ようと考えてはいませんでした。
ただ、ちょうど合併が落ち着いた後でしたし、初の上司をはじめとする先輩方の指導のおかげで、ニチメンの中では高く評価されて、若くして業務部長にも抜擢され、という割と順風満帆でした。しかし、それはあくまでニチメンの中での話であって、「他では通用するのか?」という気持ちは常に持っていたのもあります。
面接を受けて、「来い」ということになれば、それは他社でも通用する証だろうということで、ある意味、何がなんでもここに転職するんだという気持ちのない中で面接に行きました。単純に自分の市場価値に興味があったという感じでしたね。
そういう意味では、その面接では言いたい事、聞きたい事、全部ストレートに伝えました。後で聞いた話ですが、その時面接に立ち会ったアメリカ人のアジアパシフィックの責任者は私のことを「随分生意気なやつだ」という印象を持ったと聞かされました。
藤井:なるほど、当初転職するつもりじゃなかったということですが、何がキッカケでエコラボへ転職を決意したのでしょうか。
渡邉:その当時の人事部長に、「何がなんでも来い、わが社に必要な人材だ」というように言われて、ニチメンも統合が終わってひと段落していたということもあって、いい転機になるのではないかと思い決断しました。
ニチメンと日商岩井が合併したときに、旧ニチメン出身だ、旧日商岩井出身だとやっている人もいるわけですけど、もう双日という会社が出来た以上、双日という会社に転職したんだという気持ちでやるべきだと思っていて、僕はもうそのつもりで動いていたので、もしかしたら心の中で一度転職していたのかもしれませんけどね。
サービスにソリューションを付加して提供する。人材こそが価値。
藤井:エコラボはどういう会社ですか?
渡邉:本社はミネソタ州にあるのですが、東海岸や西海岸の激しいアメリカ系の会社という感じではなく、非常に、人を大切にするんですね。ある意味東洋的という感じですかね。
なぜかと言うと、エコラボのビジネスモデルの中心が人なんですよね。作っているのは業務用の洗剤なのですが、それにソリューションを付加することで差別化をして販売するというビジネスモデル。だから、そのソリューションを生み出し、販売するのは社員に他ならないわけですね。だから人を大切にする。
藤井:なるほど、何か人を大事にするというエピソードはありますか?
渡邉:そうですね、まあ、一つ挙げるとすれば、このバッチ(社章)を見てください。このバッチに石が入ってますよね。これが社歴が5年超えるごとに、変わっていくんですよ。25年になるとダイヤモンドになるというね。こういうのもエコラボらしさのひとつですね、外資系では珍しいことだと思います。
5年目はアクアマリン、何年目は何という感じで石が変わるんですよね。これは石に価値があるというよりも、社員のプライドとして価値があるんですよね。
藤井:素敵ですね。ある意味日本的で、アメリカ資本の会社としては珍しいかもしれませんね。
アクアマリン、エメラルド等の石の色によって社歴がわかるようになっているエコラボのサービスピン(社章)。
社員の誇りにもなっている。
5年未満 石なし
5年 薄青色
10年 赤
15年 紺青色
20年 緑
25年 白
以後5年毎に石サイズが大きくなる。
転職、部長から事業部長、そして日本法人社長へ。
藤井:エコラボにはどういうポジションで入られたのですか?
渡邉:フードアンドビバレッジ事業部の法人営業部長ですね、英語で言うとコーポレートアカウントディレクターですね。それから1年ちょっとで事業部長、2010年の12月1日に日本法人社長になりました。
藤井:なるほど、そして社長になって1年目にナルコのインテグレーションがあると。
現在はどの様なご苦労がありますか?
渡邉:エコラボそのものはアメリカとアジア、アメリカと日本という関係が強くて、ボスもアメリカにいて、そこからアジアを見ているという体制でやっていた。そういう意味ではグローバル化は遅れていた。一方ナルコは地域化が進んでいて、アジアパシフィックはシンガポールにボスがいて、そこからアジアを見ているという体制。エコラボが買ったわけなのですが、エコラボのほうにナルコのシステムを取りこんでやっていこうとして一生懸命やっているところですね。
エコラボそのものはナルコを買収したことによって、グローバル化が加速し始めている過渡期という感じですね。
個を尊重し、対話を増やすことで組織力を強化する。
藤井:社長になられて2年ですが、意識的に変わったことは?
渡邉:責任範囲が広がったので、ハンズオンでやるところと、ビジョンを打ち立て、みんなを勇気づけて、みなさんにやってもらうところのバランスに気を付けていますね。一番難しいところなんじゃないでしょうかね。
会議をやっていても、僕が先に結論を言ってしまうと、会議にならなかったりしますから、できるだけ皆さんに先に意見を言ってもらうようにしています。
藤井:ものすごい難しいポイントですよね。あとは全員とどう対話するのかというところなんかはどうしていますか?
渡邉:私自身、飲みニケーションを大切にしていますし、フィールドに出て一緒に営業したりもしますしね。お客さんの声を直接聞くということもありますし、営業スタッフの声、つまり現場の声にできるだけ耳を傾ける機会としてもそれは有効だと思っていますので、ここはかなり意識しているポイントですね。
藤井:これから渡邊さん自体はどうなっていきたいと思っていますか?
渡邉:そうですね、この会社の中においては、もう一段高いところを目指したいですね。今は日本と韓国を見ているのですが、アジアパシフィックもしくはもっとグローバル全体をみるようになりたいですね。せっかく外資系に入ったのでそこにチャレンジしていきたいですね。後は自分の経験をもっと若い人たちに伝えていくような事もしていきたいですね。
モチベーションの源泉。
藤井:渡邉社長は、社会人になった頃から今まで、何を目標にし、何をモチベーションにここまでこられたのでしょうか?
渡邉:みんなそうだと思いますけど、社会人になった時というのは、誰でも何かを成し遂げてやるとか、社長になってやるとか漠然としてでもそういう想いを持っていると思うんですよね。そうして社会に出たらまさに「社長になってやる」という人が直属の上司で現れたという幸運もありましたけどね。
あと大切にしているというか、自分の源泉にある考え方として、ひとりの人間として、社会に貢献するという意味では、より大きな責任を持って仕事をするということは、いろいろな人に影響を与え、社会に還元していく範囲も広がっていくと考えています。
今でも、自分が一つひとつステップアップすることで、自分で背負える責任が増えていくという想いを常に持って、自分をできるだけ高めていこうと思っています。
日本の若者に対してのメッセージ。
藤井:なるほど、ありがとうございました。最後に、これからの社会を創っていく若い人に向けて何かメッセージはありますか?
渡邉:そうですね、もっと海外に学んだら良い思いますね、まさに私が会社に入った1980年の中頃ですが、かつてJapan as NO.1と言われ、そのころは日本も隆々とやっていたわけですよね。それをアメリカは学んだわけです。
例えば、トヨタ方式にしても改善にしても、そういったものを取り入れてアメリカも復活してきた。今思うと日本も再び世界の一員として活躍していくためには、海外に学ぶということが必要なのではないかなと思いますね。
例えば、語学しかり、語学なんていうのは基礎ですから、日本がガラパゴスかしようがなにしようが、否応なくグローバルの荒波にさらされるわけで、やはりそこを避けて通れない状態にいるということをもっと強く認識したほうが良いと思いますね。
今日本は高度成長期のストックがあるので食べていけているように見えるという感じでしょうけど、昨今の経済状態で今のように使い込んでいたら、あっという間にどうにかなってしまう危機的状況にいる。そのことが見えてないのか、、もしくは見ようとしていないのかはわからないけれども、実感を持っていない人が多いと思う。
語学にしても、世界から学ぶということにしても、これからの社会を創っていく若い人たちにはドンドンやって欲しいなと思いますよね。世界の中で自分の立ち位置をはっきりさせて、やりたいことを決めて逃げずにやってほしいなと思います。
インタビューを終えて。 藤井義彦
私が渡邉社長と初めてお会いしたのは数年前のことである。IMA(国際企業経営
者協会)が主催したリーダーシップ塾で、私の受講生の一人であった。なかなかの好男子で、頭はシャープ、勉強家であった。丁度エコラボに転職したばかりの頃か、少しギスギスした感じを受けたことを思い出す。
もう少し(丸くなればと)と感じたものだが、転職したばかりでストレスも多かったのだろうか。今回久しぶりにお会いして、その成長ぶりに驚いた。礼儀正しく、バランス感覚に優れ、人間に幅と余裕が出てきている。転職して数々の苦労をして、一皮も二皮もむけたのに相違ない。
インタビューを通じて感じるのは、生来運にも恵まれており、初めて就職した会社の直属上司が後にその会社の社長になり、その上司の薫陶を受け、順調に階段を上ってきた。転職後も順調に日本法人の社長になっている。その陰には人には言えない努力と苦労があったのに相違ない。そのあたりをこのインタービューでは、あまり深く突っ込めていないが、さらりと流すあたりが渡邉社長の性格の「爽やかさ」なのだろう。
アメリカの会社は転職が多く、尖鋭的な組合が多いというイメージが強いが、アメリカでも転職が増えてきたのは1970年代の不況時からで、アメリカの優良企業の中には組合もなく、一生同じ会社で勤め上げる人も多い。エコラボはそのような(人を大切にする)企業の一つだ。エコラボの社章には感動した。従業員に愛社精神と誇りをもたらす。
リーダーになってからも、いまだグングンと成長する渡邉社長を見ていると3~5年後が楽しみだ。もう一段と高い位置で、グローバル・リーダーとしての日本人の良さを発揮していることだろう。好漢のこれからに大いに期待するところ大なるものがある。