Leader's
インタビュー
富士通(株)に勤務、北米事業部長、欧州事業部長、常務理事海外営業本部長、英国ICL社常務取締役を歴任。
その後、日本BT(株)会長、(株)パワードコムの会長、BTジャパン(株)会長を経て現在、国際キワニス国際理事を務める。
北里光司郎氏
個人としてどれだけ真剣勝負できるか、どれだけ他流試合ができるか。
過去の実績や役職なんて関係ない、毎日が真剣勝負。
藤井:ハワイでJAIMSという教育研究機関立ち上げたということですが、それはビジネススクールになるのですか?
北里:そうですね、ハワイ大学と提携してMBAを出しています。今は日本に本部を置いて、ハワイ、シンガポールと本当の意味でのグローバルキャリア教育を行うという方向性で進んでいます。
藤井:立ち上げに際して、いろいろご苦労もあったと思いますが、何に一番苦労されましたか?
北里:それまでは私は日本の会社で、日本的なやり方で成果を出してきたけれど、言ってしまえば、それ一点張りだったんですよね。アカデミックな世界というのはオープンでニュートラルで、1つのことにこだわらないんですね。
藤井:そうですね、特に欧米の教育機関はそうですよね。
北里:正直に言うと、最初は本社から送られてきたわけですから、自分の言うことは多少なりとも聞いてくれるのかな、という甘い気持ちがあった。しかし、そんなことは一切ありませんでしたね。日本で何をやっていたか、ということは彼らにとっては何の意味もなさない。私がその場で何をするのかということしかない。
毎日毎日、自分が相手とどう向き合うか、自分が起こった問題に向き合い、解決するかしないか、リーダーシップを発揮するかどうか、というのをみんな見て評価している。自分がこれだけのポジションだからとふんぞり返っていたら見向きもされない。
肩書きなんて一切関係ない、とにかく毎日が個人の真剣勝負でしたね。
どれだけ個人としての真剣勝負ができるか、他流試合をどれだけやれるかというところが大切だということを身を持って感じましたよ。
藤井:先ほど覚悟という言葉が冒頭に出てきましたが、そういう意味でもものすごく良い体験になったのではないでしょうか?
北里:本当にそうですね、もうショックでもあったけれど、真剣勝負しかないという感覚を得れただけでも貴重な体験だったと思います。
北里:ハワイには4年おりまして、その後、一旦日本に帰って本社教育訓練課長になったわけなのですが、日本に帰ったら、みんなが私の挙動をじーっと見ているんですね。「●●の資料はどこにあるの?」と言えば、みんなが「ハイ!ハイ!」って言って3人位で資料を持って来たりだとか。ハワイではそんなことあり得ませんからね。
部下と私との真剣勝負、問題と私との真剣勝負、目標と私との真剣勝負。
日本の大会社の椅子に座っていると、そんなことは一切感じないわけです。日本のマネージャーは、会社名や役職名だけで、なんとなく村社会の中で生きて行けてしまった人も少なくないと思う。
既成概念を覆されたスペイン時代。
藤井:ハワイでのプロジェクトの後はどの様なキャリアになったのですか?
北里:その後日本に4年いて、欧州事業部長、北米事業部長になっていき、本当の海外ビジネスに入っていきました。スペインでは社長をやっていたのですが、その時はまた全然違う価値観があることを知ることになります。
当時の日本人はだいたい外国人というと”アメリカ人”という感覚があった。私もアメリカのシステムが外国のシステムという先入観、既成概念があったのですが、スペインというのはまた全然違うんですよね。
まず何が違うかというと時間の感覚が全然違いましてね、だいたい100年、200年という単位でものを考えているんですね。
サグラダ・ファミリアというバルセロナにあるアントニ・ガウディの建築はまだ完成していないですよね、でもあんなのは当たり前でね、大聖堂とかを平気で300年かけて作る計画を立てる。
その源には歴史的・宗教的な背景にもいろいろ要因があるのですが、時間の感覚というか、計画の立て方、進め方の発想が違う。
最初私はアメリカ式でやろうとしていましたが、これが全然通用しない。
スペイン人というのは、“情”があり、人と人とのつながりをものすごく大事にする側面もあって、日本の浪速節みたいなものがぴったりくるところもあったりもする。
アメリカ的な経営だけでなく、全然違う感覚というのが世界にはあるということを身を持って感じることができたのはとても貴重な機会でしたね。
最も自分に影響を与えた人物、ピーター・ボンフィールドとの出会い。
北里:その後総合企画室長になって、会社の経営にも携わることになるのですが、その時にもともと提携していたイギリスの会社を吸収し、日本から経営者が行くということになり、そこに私が行くことになった。
この経験がまたアメリカともスペインとも全然違った経験になった。もともとはサッチャーが作った国策会社で、2万5千人位従業員がいました。その中で向こうの経営層に1人で乗り込むということでしたので、本社では「完全にお客さん扱いだろうな」と言っていた人もいましたが、実際に行ってみたら、彼らは完全に仲間に入れてくれたんですね、その時のピーター・ボンフィールドという素晴らしい経営者がいましてね、その後彼はBTの社長になる男なのですが、この男との出会いが私に最も影響を与えたと言えます。
彼の経営はオープン経営で、1991年頃でしたから、20年以上前ですね、当時まだインターネットも無かった頃に既にオフィスメールを活用していて、コミュニケーションがオープンでとてもスピード感も早かった。外から来た私にピーターが「全部北里に情報を流せ」と言ってくれて、情報も来たし、いろいろな人が相談に来た。とにかく相手のことをとことん考えて相手のために行動してくれるリーダーでしたね。
その時私が実践したのは、ハワイで学んだ「肩書があってもダメだ」ということですね。とにかく来る問題を片っ端から解決してあげて、とにかく一生懸命にやりましたよ。イギリスで全力でできた理由のひとつとして、本社の後ろ盾というのはありましたね。「本社のことは一切振り向かず、現地のために全力でやれ!」と言ってくれて、全力でバックアップしてくれる人がいましてね。本当にありがたかった。
当時の富士通はものすごくチャレンジングであったし、前例がないからやらないという発想ではなく、前例がないからこそやるという気概で、どんどんそういった常識を突破していった経営陣だった。トップリーダー層が覚悟を持ってリスクを取っていたし、ビジネスをどんどん取っていった。
藤井:当時の富士通の経営層はなぜそう腹が据わっていたのでしょうか?
北里:自分が大きな仕事をしているという意識がすごくあったと思う。リスクを取るということに関しては臆病になることは無かったと思いますね。もちろん無謀にリスクを取るのではなく、計算されたリスクですが。
そういったチャレンジングな体質であると同時に、現地を大事にして、現地をサポートをするのが本社の仕事だということが徹底されていた。だから私もいろいろなことに挑戦できた。リスクを避けてばかりの経営者であったら、きっと仕事も小さくまとまってしまっていたように思いますね。本当に心強かったですし、信頼していました。本社のリーダー達のそういうリーダーシップがあったからこそ、私も最大限に力を発揮できていたと思います。
その後、BT会長、パワードコム会長を経て、現在はキワニスクラブへ。
藤井:BT、パワードコムでご活躍されて、2012年10月からは国際キワニス日本地区ガバナーとしてご活躍をされていますが。キワニスクラブにはどの様な経緯で入られたのでしょうか。
北里:何か社会貢献がしたいと思っておりまして、その時に誘われたのがキワニスでした。以前からキワニスのことは知っていたのですが、自分が入るとは思っていませんでしたけどね。
藤井:どの様なことをやっておられるのでしょう?
北里:世界の国際奉仕、子供の未来を考えるという大きなテーマをキワニスは持っているのですが、今後どのような活動を推進していこうかと議論する中で、子供の国際化教育、アジアのリーダーになれるように、子供の頃からのグローバルマインドを形成できるようなリーダー教育ができないか考えています。
藤井:本当に素晴らしいことですよね、GLCでは今、既にリーダーである人達に焦点を当てていますが、本当の意味では、そういう子供の時からのグローバル教育というのが必要になってきていますよね。
北里:そうですね、フラットな地球社会の中で生きる必要があるこれからは、今までよりも一層子供の頃からのグローバルマインドを形成する機会の必要性が出てきてます。でも、日本はそれが欠けているように思えますよね。
藤井:世界が一つだということを肌で感じられるような機会も、まだまだ足りないですよね。
北里:そうですね、そういう活動をキワニスとしては全面的にやっていければと思っています。
これからの社会のリーダーに求められる要素とは。
藤井:富士通、BT、そして現在キワニスと、グローバルなフィールドで様々な活動をされてきているわけですが、リーダーとして重要だと思うことは何でしょうか?
北里:一番重要なのは、ビジョンを描くことでしょうね。どうしても仕事をしているとビジョンが埋もれていってしまうのですが、何年か先のビジョンは常に持ち、常に意識していくということが大事だと思いますね。
藤井:自分の人生のビジョンですね。
北里:そうですね。志を高く持つということが大事だと思う。毎日毎日の日常の活動は苦労の連続ですからね、ビジョンを持ったとしても、なかなか先が見えないということがあるが、常に忘れずにどの様にしたら自分のビジョンを成し遂げられるかということを考え、行動し続けることだと思う。
企業の中でも、人生でも、いろいろ問題が起きる、その問題から逃げずに向き合い、解決していくということ、そして困っている人達がいたら、とにかく助けていくということが重要だと思いますね。
小学生の時に先生が読んでくれたシェークスピアで心に火がついた。
藤井:昨今の若い人は閉塞感があるのか、内向き志向なのか、高い志を持たなくなってきていると思います。どの様にしたら志を持ち続けることができるとお考えですか?
北里:どうしてかと言われるとなかなか回答しづらいですね。
藤井:成功している人というのは高い志を持っている方が多いと思いますが、北里さんの場合は、何かエッポックメイキングになった出来事とかありますかね?
北里:小学生の頃の大きな体験として、疎開先の小学校の先生が、シェークスピアのマーチャント・オブ・ヴェニスを読んで聞かせてくれたことがありまして、それがとても衝撃的だったんですよ。
終戦直後で何もない時代に、そんな世界があるのか!?と衝撃を覚えたのを今でも覚えています。なんというか、急に心に火が灯った気がしたんですよね。
いろいろなキャラクターが出てきて、そういう世界がこの世の中に存在するんだというのにショックを受けましたね、私たちは当時鬼畜米兵といわれて育ってきて、焼夷弾をバンバン落とされてるような中で育ってましたから。もっといろいろな世界を知らなくてはいけない、もっと勉強しなくてはいけないと感じましたね。
志すというのは、自分の中の心の灯だと思うんですよね。それと出会えるかどうか、出会いというのは、人であったり、本であったり、体験であったり、そういう出会いの中から自分の可能性というか世界を広げてみることで、様々な可能性が見つかるし、自分の可能性を信じ続けることができる。それが志を持ち続けるモチベーションになるのかもしれませんね。
逆に人・本・体験などの新しい価値観との出会いを大事にしないでいると、どんどん小さくなってしまうのではないでしょうか。
「夢を持てば必ず実現する」というのは本当なんですよね。ただしそれには条件があって、1つは、夢を持ちづづけること、そしてもう一つは、物事のプラスの面に常に焦点を当てていくこと。これに尽きるんじゃないかと思いますね。これを忘れなければ、不思議なことに、必要な時に、必要な人やチャンスがやってくる。
私自身もこうして振り返ってみると、時期時期で私には必要なリーダーが現れ、仲間が現れ、チャンスが現れ、時には試練が訪れていたように思います。
これからの私たちのあり方とは。
藤井:「グローバル人材」とはどの様な人材と定義されていますか?
北里:グローバル人材とは、世界を大局的な視野で見た上で、自分のやりたいことを、且つやるべきことを認識して、周りの人々を巻き込んで、実現していく人だと思います。
藤井:最後になりますけど、これからの日本を担うリーダーや若者に対してのメッセージをお願いします。
北里:私は若い人はものすごく能力がある。私たちの時代よりもはるかにポテンシャルは高いのではないかと思っている。もっと自分の可能性の幅を広く考えてほしいし、世界を基準に今自分がどうなのかという視点をみんなが持てるようになると、世の中が変わるんじゃないでしょうか。
世界を見据えたうえで、自分が何ができるのかを考えていってほしい。
もちろん、そういう場を作ってあげるのは、大人の責任かもしれません。案外私たちの時代はある意味右肩上がりの時代でしたから、私が富士通に居た時のように企業の中にいれば、そういうチャンスが回ってきた。大胆なことができる環境だったかもしれませんね。もちろん自分から何か発信している必要はありましたが。しかし、今は企業はあまりゆとりのあるやり方が出来なくなってきているというのもあるしね。
藤井:そうですね、後は、あまり上が下のことを見てないような気もしますね。
北里:見てない人が多いですね。見る余裕がないんでしょうね。企業に余裕が無かったり、上が下のことを見ていなかったり、そういう要因も含めて、社会なんだということを理解して若者自らが自分で考えて自分で決断していくことが一層大事になってきているといえますが、社会全体としてもう一度見直していく必要もあると思っています。
これからのリーダーや若者が活躍するフィールドは、地球社会と言えます。フラット化していく社会の中で、常に「世界の中の自分」という視点を持ち、その中で自分がどの様な役割を担えるのかという視点で己と向き合い、常に大きな志を持ち、その実現に向かってほしいですね。日々、真剣勝負で社会と、人と、そして自分と向き合っていってください。