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GLC リーダーシップコラム

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なぜ、リーダーにならなくてはいけないのか。

私がリーダーシップ論を教え始めたのは 10余年前の慶応ビジネススクールの特別教授として[経営革新]の授業を担当してからである。[経営革新]のコンテンツとして経営戦略としてイノーベーション論とするか、「経営とは人材次第である」との立場から、リーダーシップ論とするか迷ったが、日本では実践と理論とを融合統一したリーダーシップ論がどこでも教えられていないようなので、あえてリーダーシップ論とした。以来、大学院や企業内研修で、リーダー育成に携わってきた。

私は、ビジネスマンには程度の差はあれど、誰しも本質的に上昇志向が備わっていて、給与を上げ、生活を安定させる意味からも企業の階段を上がる努力をするものと思い込んでいた。

ある企業の部長クラスの研修で、受講者から「なぜリーダーにならないといけないのでしょうか?」と冒頭に質問され、一瞬絶句した。私の、自明の事柄としていた思い込みをあまりにも素朴に問いただされたので驚いたわけである。よくよく聞いてみると、彼のポイントは「自分は経理を担当している。各部下が何をなすべきかをよく承知して、きちんと仕事をしてくれるので、自分にはリーダーシップは不要である」と。

成程、彼のチームは現状理想的な形になっているのかもしれない。「命令するリーダーシップ」から究極の「委ねるリーダーシップ」になっているのかもしれない。(参考図書:「最強の組織の作り方」L・デビッド・マルケ著。東洋経済新報社 )。しかし部下のモラールが下がった時にはどうするのだろうか? 部下にどのようなベクトルと方向性を与えていくのだろうか? チームの雰囲気が悪くなって来た時にはどうするのだろうか? 部下のレベル/質をどのように向上させていくのだろうか? どのようにして自分のチームを最高・最強のチームにしていくのだろうか? このようにじっくりと対話していくと、リーダーシップの必要性が判ってくれたようだ。

一つ認識を正してほしい点がある。組織の中にいると、リーダーとは社会的に地位が高い、且成功をしている人をリーダーと考えがちであるが、この認識は誤っている。役職としてのリーダーということではなく、私たちはあらゆる場面でリーダーの役割を担っているのである。

人が二人以上いると必ずリーダーとフォロワーがいる。また、人は一人で判断したり行動しなければいけない時がある。即ち一人一人各自がリーダーにならないといけないものなのだ。各自がリーダーになり、自分の持ち場で最高のリーダーシップを発揮しなければならないのだ。

即ちリーダーシップとは特殊なものではなく、全ての人々があらゆる局面(家族、企業、コミュニティ等)で直面する問題なのだ。そういう点からいえば、過去誰しもがリーダーシップを発揮した体験があるはずだ。そして誰でもリーダーシップについて漠然としてイメージ・自分なりの素論がある。

時代は急激に変化している。世界や社会情勢が複雑化している。グローバル化で情報が一瞬のうちに伝搬する。はたして自分のリーダーシップの素論がこのような時代にマッチしているのか否か、見直す必要がある。

自分が輝くリーダーになっているのか否か、常に問いかけていく必要があるのではないだろうか。

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